「平成レトロ」提唱者・山下メロが語る アノコロのスキーウエアと音楽とカルチャー

Chapter1

サイケでポップな「平成レトロ」な
スキーウエアの世界

聞き手:ミゾロギ・ダイスケ
(編集者/ライター)

今回の「ISHIUCHI MARUYAMA RETRO SNOW STYLE」でフォーカスする1990年代は、日本における平成前期と重なっている。そこで、「平成レトロ」の提唱者で、その時代のスキーのカルチャーにも詳しい“記憶の扉のドアボーイ”山下メロさんに、当時のスキーウエアを中心に“アノコロ”についてリマインドしてもらおう。

最初に、山下さんが提唱されている「平成レトロ」という枠組みについて確認しておきたいのですが、具体的にどの あたりを範疇とされているのですか?

現段階で“懐かしい”と感じる時代です。人によっても違ってくるので、そこは定義付けしていません。ただ、便宜上、自分では主に平成前半としています。西暦でいえば2003~2004年あたりまでですね。


'87/'88シーズンの石打丸山の風景まだワンピースのスキーヤーが目立つ
ここに昭和最後のスキーシーズン('87/'88シーズン)の石打丸山のゲレンデ写真があるのですが、これを見ると、スノーボーダーは皆無で、ワンピースのウエアの人が多いですね。それに蛍光色は見られません。山下さんが近著の『平成レトロの世界』(東京キララ社)で紹介されているような蛍光色&サイケデリックなスキーウエアは平成のトレンドだということがわかります。

当時、サーフファッションとして蛍光色が流行っていたんですよね。ただし、蛍光色は日常的なファッションにシームレスに取り入れづらかったので、まずは非日常のスポーツウエアから──というのがあったと思います。

ただ、スキーウエアは、単色のワンピースからいきなりサイケデリックになったのではなく、ツーピースに差し色として蛍光色が入る。そこから一瞬でサイケ化した流れがありますね。'92年のアルベールビル五輪の写真をみると、日本選手団のユニフォームは相当サイケですから。

蛍光色が増えたのは機能的な意味もあったように思えます。映画『私をスキーに連れてって』('87年)を観ると、原田知世さんが白いワンピースのウエアを着ていますよね。あれは憧れの対象であったものの、白はゲレンデで視認されづらい色なので、スキー初心者にはある意味でリスクがある。そうした面から、目立つ蛍光色が求められたというのはあるんじゃないかと。


左から、'88/'89シーズン、'91/'92シーズン、'93/'94シーズンの石打丸山のパンフレット。表紙の人物が着用するウエアが、白いワンピース、蛍光色の差し色が入った逆三角形のツーピース、蛍光色のサイケなツーピースに変遷している

なるほど。スキー人口が激増していた時代なので、ゲレンデには初心者ばかりですからね。カラーリングだけではなく、シルエットの変化もありました。平成の始め、街では肩パットが入ったジャケットが流行っていましたが、スキーウエアもその影響を受けたのか、逆三角形化していきましたね。

ただ、動きづらいからだと思いますが、スキーウエアには肩パットが入っていないんです。その代わりに、肩の部分が両サイドに突き出すようなパーツを乗せていました。裃(カミシモ)のようなイメージですよ。逆三角形のシルエットをスキーウエアで実現しようと工夫していることがスゴいと思いますね。

それ以前からのDCブランド人気も続いていて、平成初期のカジュアル系タウン着はブランドロゴが重視される傾向もありましが、スキーウエアには、その影響はあったと思われますか?

むしろ、スキーウエアのロゴは控えめなものが多かった印象です。デザインは派手でも、あんまりブランドの主張がないんですね。

胸にワッペンが付いているぐらいで、背中にロゴがでっかくプリントされるようなパターンはあまりなかったですね。

お話していて思ったのですが、俯瞰してみると、DCブランドのビッグロゴ文化が反映されていたのは、むしろポンチョですよ。あっちの方がロゴの主張が強い。それに、ポンチョはスキーウエアメーカーではなく、スキー場が独自に作れるので、そこにスキー場のロゴを大きく入れる流れもありましたし。

ポンチョにプリントされているロゴはデカかったですね。ただ、スキーウエアにも、ロゴとは別に何らかのワッペンはついていましたよね。

確かに!スキー選手が付けるような協賛スポンサーのロゴ風ではない、何かのワッペンは付きがちですね。たとえば、「Racing」と書いてあるものが異様に多い気がします。ワッペンを付けるには、それだけ手間とお金はかかりますが、メーカーはそれをやっていたんですね。


防水機能が今ほどのレベルに達していない頃は、降雪時にポンチョを着て滑るスタイルがあり、その背中にはロゴがド〜ンと入ることが多かった
写真:山下メロ著『平成レトロの世界』(東京キララ社刊)より

令和に「平成レトロ」なスキーウエアを着て分かった衝撃の事実

山下さんは、「平成レトロ」なスキーウエアを普段から着用されているようですが、2023年の視点で機能面で気になる点はありますか?

実は自分で着ていて思うのは、モコモコしている割にそんなに暖かくないということですね(笑)。全般的に今のアウトドア系のウエアというのは、薄くても暖かい。すごくスマートに着られるように進化していますよね。インナーもいいものがある。でも、当時のスキーウエアは、今の尺度でみるとそこまで暖かくないんですよ。そこは驚きです。考えてみれば、当時はアウターの下にセーターを着るのが普通でしたからね。

防水透湿性素材、インサレーション(中綿)と、この30年でスキーウエアの機能は飛躍的な進化を遂げたのでしょうね。


こうした「平成レトロ」なウエアの時代は、ミッドレイヤーとしてのフリースもそれほど普及していなかった
写真:山下メロ著『平成レトロの世界』(東京キララ社刊)より

それから、当時モノは重いし、かさばる。上下で買うと、大きめのゴミ袋いっぱい程度の大きさになっちゃんですよね。パンツも胸まであるじゃないですか。オーバーオールタイプで。とにかく場所をとる。今、その時代のウエアを集めていくにはその点がネックになります。そう考えると、当時、持ち運びや保管も大変だったのだろうなと思いますね。

キャリーバッグもデカかったですしね。

キャスターがついていて、下にスキーブーツを入れるヤツね。あれはスゴいサイズでしたよね。そう考えると、当時のスキーヤーはとんでもない物量を運んでいますよね。

さらに、アフタースキー用の装備を持っていく人もいましたからね。リゾートホテルのラウンジでスウェット上下にスリッパという訳にはいかないので、男性ならスーツに革靴とかね。

そこでもオシャレをしなきゃいけなかったんですね。もう訳がわからないですが、そんなに大変な思いをしてまで行くということは、スキーに強い訴求力があったということなんでしょうね。


平成初期は頭部の防寒アイテムとしてビーニーではなくキャップやヘッドバンドを好むスキーヤーも多かった。そして、そこもサイケ化していく
写真:山下メロ著『平成レトロの世界』(東京キララ社刊)より

一方、主に女性をターゲットとしたスキーウエアは、フードにファーが付いていているなど、メンズやユニセックスのモデルとは違った世界がありますよね。得に平成初期はかなり。

サイケであってもごちゃごちゃしてなくて、ちょっとファンタジーな方向にまとめられているものが多い印象ですね。自分の見ている感じだと、金のパーツがあって、宝飾品に飾られた感じで、ウエストを絞るベルトがついていて、そのベルトも派手なんですね。あれは、ボディコンとか、そうした世界が取り入れられているのではないかと。それから、女性モノはサイケであっても花柄なんです。遠目では分からないのですが、近づくと花柄がわかる。

そこはスキー業界がなかなか抜け出せなかった部分ですね。女性向けのスキーの板のグラフィックなんて、2000年代になってからも花かハートマークかリボンの世界が残っていて、色はピンクか黄色、赤、白、紫でしたから。サスガに今はそこから脱していますが。

ステレオタイプなジェンダー感覚の時代が長かったんですね。その点、ストリートファッションとつながっていたスノーボードは新しかったんじゃないですかね。ストリートファッションを好む、好まないの前提はありますが、お仕着せの女性感みたいのは薄かった感じはしますね。

スノーボード人口のデータが残っているのは96/97シーズンからで、まさにエアマックスにG-SHOCKが流行ったストリートファッションの時代でしたね。その頃になると女性用スキーウエアもサスガにサイケなグラフィックが減り始めていたものの、それでもステレオタイプ的だった印象があります

90年代までのスキーには、出会いを求めるレジャーである側面がありましたよね。異性を意識する人が多い文化というか。その面が女性用ウエアに現れていた気がしますね。それって、スキーウエアとスノーボードウエアの元になった世界観の違い、それこそ、ボディコンとストリートの違いかもしれませんね。

そこは日本独自の現象なんでしょうね。

Chapter2につづく

山下メロ(やました・めろ)

記憶の扉のドアボーイ。平成が終わる前から「平成レトロ」を提唱。平成初期~前半を中心としたバブル~1990年代特有の文化の保護を訴える。情報やアイテムの保護活動・発信を続ける。また、1980年代~バブル時代に日本中の観光地の土産店や施設の売店で販売されていた子ども向け雑貨みやげ「ファンシー絵みやげ」についても研究。日本全国で保護活動を行い、これまで調査した土産店は約6000店、保護した個体は22000種におよぶ。そのフィールドワークにおける出来事や成果を各メディアで発信している。著書に『平成レトロの世界山下 メロ・コレクション』(東京キララ社)、『ファンシー絵みやげ大百科失われたバブル時代の観光地みやげ』(イースト・プレス刊)がある。

ミゾロギ・ダイスケ

ライター・編集者・昭和文化研究家。スキー専門誌『ブラボースキー』(双葉社)の編集を手掛けつつ、レトロネタに詳しいライターとして各方面で暗躍中。2022年には『JRSKISKI30thAnniversaryCOLLECTIONデラックスエディション』(avex)に封入のブックレットの構成と執筆を担当。Webメディアでスキーと周辺カルチャーについての原稿を書くことも度々ある。ライターとして参加した『80年代アイドル総選挙!ザ・ベスト100』(ヘリテージ)は2023年3月発売。